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広島地方裁判所 昭和42年(ワ)252号 判決 1968年3月06日

原告 松田文三 外一名

被告 国

代理人 村重慶一 外一名

主文

被告は原告松田文三に対し、一三五万円及びこれに対する昭和四二年一月一六日から右支払済にいたるまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

被告は原告都商事株式会社に対し、一七六万円及びこれに対する昭和四一年一二月一〇日から右支払済にいたるまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事  実(一部省略)

一、(一) 原告松田は金融業者であるが、訴外塚本治男からその所有の広島市観音町字南一、二〇二番地の二、宅地七二坪を担保とする金借の申込をうけ、昭和四一年一一月一〇日塚本に対し、右土地に抵当権設定をうけることにより、一五〇万円を弁済期昭和四二年一月一五日、利息日歩四銭一厘、損害金日歩八銭二厘と定めて貸与することとし、昭和四一年一一月一一日抵当権設定登記手続終了と引換に金一五〇万円を交付した。

ところが、塚本が右金借申込に際して示した右土地登記簿謄本には、前所有者田中幸男の登記に続き「昭和三一年四月二七日受付第一二〇三八号、原因昭和三一年四月二五日売買、取得者安芸郡船越町七一番地塚本治男」なる記載があつたが、右田中、塚本間にはなんらの所有権移転の原因事実はなく、何者かが広島法務局所管の右土地登記簿閲覧に際し、原本に前記塚本を取得者とする記載を偽造し、右記載にしたがつて前記謄本が作成交付されたものであることが後日判明した。そして、原告松田は、右登記簿謄本の記載により塚本を所有者であると信じて貸金をなしたもので、右記載が不実であることが判つていれば貸金をしなかつたのであり、塚本は無資力で右一五〇万円が回収不能となり、同額の損害を被つた。

(二) 原告都商事は金融業者であるが、前記塚本からその所有の広島市東雲本町二丁目七四五番地の一、宅地九五坪一勺を担保とする金借の申込をうけ、昭和四一年一二月九日塚本に対し、右土地に抵当権設定をうけることにより、二〇〇万円を弁済期昭和四二年一二月一〇日、利息日歩四銭一厘と定めて貸渡し、同時に抵当権設定登記を経由した。

ところが、塚本が右金借申込に際して示した右土地登記簿謄本には、前所有者森本時枝の登記に続き「昭和三三年八月二五日受付第二一三七二号、原因同月二二日売買、取得者安芸郡船越町七一番地塚本治男」なる記載があつたが右森本、塚本間にはなんらの所有権移転の原因事実はなく何者かが広島法務局所管の右土地登記簿閲覧に際し、原本に前記塚本を取得者とする記載を偽造し、右記載にしたがつて前記謄本が作成、交付されたものであることが後日判明した。そして、原告都商事は右登記簿謄本の記載により塚本を所有者であると信じて貸金をなしたもので、右記載が不実であることが判つていれば貸金をしなかつたのであり、塚本は無資力で右二〇〇万円が回収不能となり、同額の損害を被つた。

二、各原告がうけた前記損害は、右各登記簿を所管する広島法務局登記官長沢武男において、登記簿閲覧に対する監視並びに登記簿謄本の作成、交付につき注意を怠つた過失に基因するというべきである。よつて、国家賠償法第一条により、被告国に対し、(省略)各支払を求める。

被告指定代理人は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求め、事実に対する答弁として次のとおり述べた。原告ら主張一の事実は、その主張の各登記簿謄本中にその主張の記載があり、右が原告ら主張のとおり、偽造された登記簿原本にしたがつて作成、交付されたものであることは認めるがその余の事実は不知、同二の事実は否認する。次の一、二により、登記官吏に原告等主張の過失はない。すなわち、

一、前記塚本治男は天満戸年博と共謀して、昭和四一年一〇月末ごろ前記田中幸男所有の土地につき及び同年一二月三日ごろ前記森本時枝所有の土地につき広島法務局登記課において土地登記簿の閲覧を装い、同課保管にかかる登記簿(バインダー式)中の本件各土地の登記用紙をひそかに抜取つて持出し、前記原告ら主張のとおり、所有権が移転した如く不実の記載をしたうえ、ふたたび本件土地登記簿の閲覧を申請し、閲覧を装つて、ひそかに右各登記用紙を元の登記簿にさしもどした。

不動産登記簿の閲覧は所定の事項を記載した申請書を提出し、かつ手数料を納付した者に対して、利害関係を有する部分に限つて許されるのであるが、登記課においては、閲覧の請求があつたときは、まず申請書の適否を調査し、適正であつた場合には該当物件の登記用紙が編綴された登記簿格納庫から搬出して、これを請求者に渡し、閲覧が終つたら返納させることとしている。

ところで、登記課には専任の監視員こそ置いていないが、登記簿への不正記入、汚損、抜取等を防止するため、(一)登記簿を渡す際請求者の氏名を呼上げて請求者を確認して登記簿を渡し、(二)閲覧が終つた際の登記簿の返納を確認し、(三)閲覧は登記課中央部に設けられた閲覧席でさせ、(四)閲覧の際のインク、墨汁等の使用、喫煙を禁じ、(五)職員席を常時閲覧状態を監視できる態勢に配置する等一方では公示制度としての役割を果す多数の閲覧事件処理に支障がないように配慮しながらも、他方では必要な注意を払つてきているのである。

登記簿の閲覧申請は、不動産、商業法人を合わせると一日一〇〇件ないし一五〇件あり、毎日多い時は約四〇人の閲覧者があり、一般登記事件に用いるものを合わせると、一日に登記簿格納庫から搬出される登記簿冊は一、〇〇〇冊ないし一、五〇〇冊で、用済のものを順次格納していても、登記課内には常時二〇〇冊ないし五〇〇冊の登記簿冊が存在している。

右のような状況のもとにおいて、内部事情にも通じていると思われる土地家屋調査士兼司法書士の補助者である天満戸年博らが、前記の如く職員監視の目をくぐり、巧妙かつ異常な手段を用いて、不実の記載をしたような場合においては、登記官としてはこれが防止は不可能であり、たまたま本件のような不実記載がなされたことのみから直ちに登記官の過失であると断定することは相当でない。

二、天満戸年博らが本件土地の登記用紙に記載した前記不実記載事項は、所定の記載例にのつとり、不動文字となるべき部分は活字を使用し、かつ登記官の認印も一応形式に合つている等その記載方法、内容ともに何人が見ても一見してこれが不実の記載であることは看破できない程度に精巧をきわめたものである。したがつて、登記官において、不実記載があることに気づかないで、そのまま登記簿謄本として認証交付したとしても、不実記載を看過した登記官に過失はない。

かりに、登記官に過失があるとしても、登記に公信力はないものであり、金銭貸借にあたつては、借主の経歴、資産等を充分に調査し、回収可能な場合に限つて貸付けるのが常態であり、原告らが金融業者であるとすれば、特に塚本の経歴、資産状態等を充分調査すれば、登記の不正記入も看取できたはずであり、この点において原告らに過失があるから、損害額を算定するに当り、充分にこれをしん酌すべきである。(証拠省略)

理由

一、(証拠省略)によれば、次の(一)(二)の事実が認められ右に反する証拠はない。

(一)  塚本治男、土地家屋調査士兼司法書士の補助者であつた天満戸年博は、共謀して、他人所有の土地に関する不動産登記簿原本に、塚本が該土地を取得した旨虚偽の記載をして、登記簿原本を偽造したうえ、右登記簿謄本の交付を受け、これを利用して借用金名下に金員を騙取しようと企て、昭和四一年一〇月二九日ごろの午前一〇時ごろ、広島法務局登記課において、天満戸が司法書士高橋八郎名義で不動産登記簿閲覧申請をなし、同登記課内の閲覧席において、田中幸男所有の広島市観音町字南一、二〇二番地の二、宅地七二坪の登記簿原本甲区(所有権)分一葉をバインダー式登記簿冊から抜取つて、持出し、右登記簿原本甲区第二番欄所有権取得者田中幸男の登記の次の余白部分の順位欄に黒インク、万年筆で「参番」と記載し、同事項欄に四号活字、黒スタンプインク、黒インク万年筆を用い「所有権移転昭和参拾壱年四月弐拾七日受付第壱弐〇参八号原因昭和参拾壱年四月弐拾五日売買取得者安芸郡船越町七拾壱番地塚本治男右登記する」と記載し、その末尾に「栗栖」と刻した有合わせ印を押捺して、登記原本を偽造し、同日午後一時ごろ、右登記課へ赴いて、前記抜取後閲覧席の書類棚に置いたままになつていた右登記簿冊に右偽造した一葉を編綴し、同年一一月二日ごろ、塚本において、右登記簿謄本の下付申請をして、広島法務局登記官長沢武男名義の複写機によつて謄写された登記簿謄本(証拠省略)の認証交付をうけたうえ、山口隆美の紹介により、金融業を営む原告松田に対し、右謄本を示して、右土地を担保として金借を申込み、よつて、同原告は、塚本に対し、貸金額を一五〇万円とし、弁済期昭和四二年一月一五日、利息月五分と定め、二箇月分の利息一五万円を天引し、昭和四一年一一月一〇日ごろ九〇万円、同月二三日四五万円を交付して貸与し、同月一一日前記土地に対する抵当権設定登記を経由した。

(二)  塚本、天満戸は前同様の方法で金員を騙取することを企て、天満戸において、昭和四一年一二月三日ごろの午前一〇時ごろ、前記登記課に赴き、前同様の方法で森下時枝所有の広島市東雲本町二丁目七四五番地の一、宅地九五坪一勺の登記簿原本甲区分一葉を抜取つて持出し、右登記簿原本甲区第五番欄所有権取得者森下時枝の登記の次の余白部分の順位番号欄に、「六番」と記載し、同事項欄に「所有権移転昭和参拾参年八月弐拾日売買取得者安芸郡船越町七拾壱番地塚本治男右登記する」と記載し、その末尾に「栗栖」と刻した有合わせ印を押捺して、登記原本を偽造し、同日午後一時ごろ右登記課へ赴き、右偽造した一葉を登記簿冊に編綴し、同月六日ごろ右登記簿謄本の下付申請をして、前記登記官長沢武男名義の複写機によつて謄写された登記簿謄本(証拠省略)の認証交付をうけたうえ、森下謙二の紹介により、金融業を営む原告都商事代表取締役山城仁太郎に対し、右謄本を示して右土地を担保として金借を申込み、右原告会社は、同月九日塚本に対し、貸金額を二〇〇万円とし、弁済期昭和四二年一二月一〇日、利息月六分と定め、二箇月分の利息二四万円を天引し、金一七六万円を交付して貸与し、右貸与の日前記土地に対する抵当権設定登記を経由した。

二、そこで、右登記簿閲覧の監視並びに登記簿謄本の作成、交付に登記官の過失があつたか否かを検討する。

成立に争いのない乙第一号証の昭和三八年四月一五日法務省民事局長通達、民事甲第九三一号不動産登記事務取扱手続準則第一九二条によると、登記簿の閲覧をさせる場合には、(一)閲覧の前後に当該登記用紙の枚数を確認すること、(二)登記用紙の抜取、脱落、汚損、記入及び改ざんの防止に厳重に注意すること、(三)閲覧者が筆記する場合には登記用紙を下敷にさせないこと、(四)閲覧中の喫煙を禁ずることが定めてあることからすると、前記天満戸の原本偽造の所為が、かつてかかる事例もなく、同人が広島法務局登記課内部の実状に明かるいことを巧みに利用したもので、係官において、その発見が容易でなかつたことはうかがえるが、登記官は前記準則所定の(一)、(二)の事項を遵守してこれが防止に努むべきであり、これを遵守しても防止が不可能であるとは断定しがたく、登記官において、右(一)の登記用紙の枚数の確認の措置をとつたことを認むべき資料もないから、右は、登記官に登記簿閲覧の監視上過失があつたというべきである。被告は、広島法務局における登記事務は極めて多忙のため、登記官において右準則の規定を遵守することは不可能であつた旨主張するが、証人長沢武男の証言により右登記課においては、人員の配置が十分でないことを理由に登記簿閲覧の監視に専従する職員を配置せず、登記課長登記官長沢武男以下登記課所属全職員が他の事務の執務に併わせ、あるいはその傍ら右監視にあたつていたことが認められ、そして右証言によつても、右登記課の事務量にふさわしい人員の配置がなされていないことは認めうるとしても、なお、右監視専従の職員の配置が不可能であるとの心証をうるにたらず、他にこれを認むべき資料はない。

右によれば、前記長沢登記官名義の各謄本の認証、交付の点についての登記官の過失の有無(前記長沢証人の証言によると、本件各偽造登記の登記済印にあらわされた「栗栖」なる登記官は、当時不動産登記の記入係でなかつたことが認められる。)はしばらくおくとしても、右偽造登記並びに右にしたがつた前記各謄本が作成交付されたことは前記登記課長にして、右謄本認証者である長沢登記官の過失に基づくものと解するのが相当である。

三、そして、前記一の認定事実と、(証拠省略)によると、二、前記塚本の各金借申込が、原告松田においてはかねて取引のある山口隆美の紹介によるものであり、原告都商事においては、かねて取引のある森下謙二の紹介によるもので、各原告は、塚本からそれぞれ現地の案内をうけ、また塚本の身元をも一応の調査をしたが、塚本の申込に対し各不審のかどを見出さず、本件各不動産が、各謄本どおり塚本の所有であると信じて、右各貸付を行つたものであると認めることができ、右と原告らが金融業者であることからすると各原告は、もし、本件各謄本の提示がなかつたら前記各貸金をしなかつたであろうと推認でき、前記塚本の原告らからの金員騙取は前記二認定の登記官の過失ある所為によつて、容易ならしめられたというべきである。そして、各原告が右認定の事実関係のもとに塚本に対し金員を貸与したことに、取引通念に照らし通常必要とすべき注意の欠如があつたとは認めがたく、他にこれを認むべき資料はない。もつとも、各原告において塚本に対し権利証の提示を求め、塚本の資産、信用につき厳重な調査をしたとすれば、右被害を免れえたと考えられないではないが、各原告にかかる高度の注意義務を期待するのは相当でなく、右をもつて、原告らがうけた損害または損害額につき、斟酌すべき各原告の過失があつたとするにあたらないと解する。

四、以上によれば、被告国は国家賠償法第一条第一項により、原告らがうけた損害を賠償すべき義務があるというべきである。したがつて、被告は、原告松田に対し、前記一(一)の一三五万円及びこれに対する右金員交付の日以後である昭和四二年一月一六日から、右支払済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、原告都商事に対し前記一(二)の一七六万円及びこれに対する右金員交付の日以後である昭和四一年一二月一〇日から右支払済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。原告らの請求中その余の部分は、各原告において塚本に対して現実に交付した金員を超える部分をもつて、塚本の金員騙取行為に基づく損害となすに由なく失当である。

よつて、原告らの本訴各請求を右認定の限度において認容、棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用し、仮執行宣言はこれを付しないのを相当と認め右申立を却下することとして主文のとおり判決する。

(裁判官 長谷川茂治 雑賀飛龍 篠森真之)

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